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March 31 社会人30年の最終日 そんな節目の日に私は忌引き休暇をとり、しずかに母と父親の葬儀の残務整理にあたりました。
四十九日の準備や葬儀参列者の確認など、初めて経験した喪主の役割は、もう少し続きます。
四十九日の時間と場所がようやく決まり、少し安堵したのもつかの間、街の会計の仕事の年度決算書を作成しました。
ようやく会計の仕事が終わり、ホッとすると決算報告書を印刷してくれる役員に持参し、私は一年間雑草と格闘した花園を見に行きました。
私が農地所有者である父親の病気をきっかけに街の花園事業にボランティア参加することになるとは、数年前まで思ってもいませんでした。
花園に自転車で着くと、種をまいた菜の花が咲き始めていました。
「咲いた、咲いた」と少しだけ胸を撫で下ろしました。
いくら野鳥が花の種を食べたって、すべてを食べつくすことはできないということです。
桜の花が3分咲きの横で、野鳥の餌場と化した花園で生き残った菜の花が咲き始めたので、ピンクとイエローの競演がみられました。
それにしてもとても風が冷たく、空はどんよりとした曇り空。
藤原宮跡の広大な国有地に立つ私は、まるで文学作品で何度も映画化されている「嵐が丘」の主人公ヒースクリフのような感じでした。
私の社会人30年は、今までになくドラマチックなラストシーンで終りました。
夜、私は久しぶりに靴を磨き、新たな人生に踏み出す準備を始めました。
これから始まるのは、30年もないかもしれませんが、私の人生というマラソンの後半勝負のときが来たということです。 亡き父を悼む あなたは、私の永遠のライバルでした。
あなたは私が生まれたとき、どれだけ喜んでくれたのか。
まだ幼い私は、あなたが暗い夜道を自転車で帰るのを待ちわびて、幼い妹と2人で自宅の玄関から帰ってくる方向を見つめていました。
帰宅したあなたは私と妹を両腕に抱え、2階の寝室への階段を上ってくれたのです。
私の幼い頃の記憶のなかで、もっとも幸福な瞬間の記憶です。
いつしか育つうちに反抗期に入った私は、あなたに激しく打たれたことがありました。
泣き崩れた私は、いつしか眠ってしまいました。私の子どもの頃のもっとも悲しい記憶です。
私はあなたが出世していく姿を頼もしくみて育ちました。
あなたが日曜にゴルフバッグを担いでゴルフに行くことで、母は祖母とあなたの板ばさみになり苦しんだという打ち明け話は、今日初めて母から聞きました。
「したいことをすべてしたのよあの人は…」と、母は私に説明してくれました。
私もそう思います。
一言多かった頑固親父のあなたは、よく怒り、よく喧嘩をしたものでした。
そんなあなたに反抗した私は、日本でもっとも授業料が安い大学へと進み、あなたと対等の立場に身を置こうと努めました。
やがて社会人となった私が仕事をしている女性と結婚したので、私の子どもの世話もよくしてくれました。
子どもの病気でも心労をかけ続け、いまだに子どもの病気が治らないということで心配をかけました。
でもこれは私のために神様が与えた試練なので、どうか安心してください。
通夜の夜、弔問の人たちが帰ったあと、一台のハイヤーが会場に到着し、受付の人が私に「お父さんの会社のえらいさんみたいやから挨拶したほうがいいよ」とわざわざ声をかけてくれました。
その人は自分で母を探して弔いの言葉をかけたので、私も母から手招きされました。
あなたが勤務していた電力会社の元副社長で、会社では父親の数年後輩だということでした。
「ご子息ですか。お父さんは仕事熱心で立派な方でした。あなたもその遺志を受け継いでくださることを祈ります」
と最大限の弔いのことばを頂きましたよ。
大阪からわざわざ駆けつけて頂いた要職の方をみて、あなたの仕事ぶりを感じました。
男の子にとり、父親は永遠のライバルです。
私はあなたというライバルを失い、心の中に巨大な空洞をもった気がします。
葬儀を応援していただいた近所の皆さんに対するお礼の挨拶も、涙で声が出ず、困りました。
僕は、泣き虫先生といわれた伏見工業の山口良治元監督のように、立派な泣き虫になりたいと思います。
あなたの人生は、私の心の中にしっかりと焼きつき、つねに心の中でベンチマークとして働きつづけてくれるでしょう。
毎年桜が咲くたびに、桜の花に見送られて逝ったあなたを思い出すでしょう。
ありがとう。
合掌。 March 29 はじめての喪主 2年半の肺がん闘病生活のすえ、ついに27日木曜日の朝父親が死去しました。
27日の朝6時半頃に入院先の病院から、急変をつげる電話が入り、出勤前の食事をとろうとしていた私は、あわてて母と病院に向かいました。
病室に着くとすでに父のベッドはなく、集中治療室に移されていました。
ベッドにたどりつくと、すでに父親は息を引き取った後でした。
まだ遺体は温かく、つい今しがたまで息をしていたことを感じました。
呼びかけても声はなく、少し間に合わなかったのです。
それから遺体とともに自宅に帰り、昨日の金曜日に通夜、本日土曜日午後1時に告別式を行いました。
私は初めての喪主経験で、分からないことだらけでしたが、何とか街の先輩の人たちのお手伝いと親戚のアドバイスと協力のおかげで役割を果たすことができました。
母は看病疲れで弱った体に鞭打つかのように、遺体の最後のお守りについてくれたので、私も二夜連続で遺体とともに過ごし、寝不足となりました。
告別式と火葬、骨揚げ、初七日、お礼の挨拶に食事接待とあわただしく時間が過ぎ、気疲れと睡眠不足で今は眠くて仕方がない状態です。
今日の午後、告別式会場から霊きゅう車に乗り込むと、涙があふれてきました。
車窓からみえる風景は、私を育ててくれた父との思い出がいっぱいつまった風景で、その風景のなかに桜がいたる所で花を咲かせているのです。
「桜の花に見送られて火葬場に向かうなんてできすぎだよ」と心の中で父に語りかけていると、嗚咽のような涙がこみ上げてくるのを抑えることはできませんでした。 March 26 大阪の桜も開花 今日は大阪の桜が開花したと報道されています。
勤務先の近辺の桜も次々と開花し、すでに花見ができるほど見ごたえのある桜が見受けられます。
日当たりのよい木は早く咲くので、昼時に少し眺めました。
テレビニュースでは、東京ではすでに見頃で、週末が満開の花見が楽しめそうだということです。
いつもより早い開花で、一気に満開になるという慌しい開花となりました。
昨年とは随分違う楽しみ方となりそうです。
あと五日で三月も終わり、いよいよ四月となります。
社会人三十周年という私の個人的な節目が近づいてきました。
30年前、桜が満開の日に入社式にのぞんだ日から長い年月が始まりました。
振り返ると出会った人々や、お世話になった上司など、人との出会いに恵まれてきたことを感じます。
節目のときこそ、多くの出会いや経験をさらに自分の飛躍のために活用するため、改めて自分を見つめ直すべきだと思っています。 March 25 ついに全国各地で桜が開花 今日のテレビニュースでは、京都、和歌山でも桜が開花し、関西にも本格的な春が到来したことを伝えています。
桜が開花したと聞くと、心が軽くなるのは日本人だけでしょうか。
行き詰った政治や嫌な事件、職場のストレスなど、閉塞感を取り払ってくれるのが桜の花なのです。
今年は街の桜の当番に当っていないので、私は心ゆくまで桜を楽しめそうです。
さて今夜のニュースステーションには、ワールドカップ女子モーグルで年間王者となった上村愛子が登場。
長野オリンピックでは高校生だった上村愛子が、10年という長い年月の間に挫折と栄光を経験し、最後につかんだ日本人初の栄光の素晴らしさを語っていました。
モーグル一筋に取り組んできた努力の結果たどり着いた世界トップの座は、世界一のコーチとの固い信頼によって勝ち取られたものでした。
コーチを信じ、コーチも上村愛子の力を信じて、連日の激しい練習に取り組んだことが実を結ぶとは、本当に感動の物語です。
久しぶりに胸にジンとくる話でした。 March 23 ホークスが三連勝桜開花 遠き福岡の地で、私が応援している福岡ソフトバンクホークスが東北楽天ゴールデンイーグルス相手に開幕三連勝。
始めの2ゲームはサヨナラ勝ちで2連勝。
そして今日はなんと大物ルーキー大場投手がプロ初登板初完封勝利という離れ業をやってのけました。
王監督もたまらない勝ち方でご機嫌だと思います。
それに対して負けた野村監督の方は、いつものボヤキに元気がないように感じられて少し気の毒でした。
ホークスのOBである野村監督が現役時代に私はホークスファンとなったのです。
その頃日本シリーズの宿敵巨人の主力は王監督でした。
さて、予想外に早く各地で桜が開花しています。
いつの間にか春本番です。
暑さ寒さも彼岸までというのはいつも当てはまると感心します。
甲子園では選抜高校野球が昨日から始まりました。
春の観光シーズンとスポーツシーズンが同時に始まりました。 March 22 ただいま社労士学習中 昨日はTAC大阪難波校での社労士講座の受講日でした。
実は今週火曜日に東京出張が入ったため、月曜日にいつもと違うTAC大阪梅田校で同じ講座の振替受講をしまし。
この校舎は、場所は私の通勤経路から遠いうえに駅からも遠く、授業内容もいつもより分かりにくく、教師が違うとこうも違うのかというほど理解できませんでした。
今週疲れ果てているのは出張の疲れもありますが、月曜日の疲れから始まっているのです。
昨日金曜日は疲れがピークで、朝の通勤途中でテキストを電車の網棚に忘れるという失敗をしてしまいました。
出社する直前のカフェで、コーヒーを飲みながらテキストを読もうとしてはじめて気がつき、あわてて駅に電話をしました。
もしも出てこなかったらテキストを買えるかどうか学校にも問い合わせをしたら、2,500円もするというのですが買えると分かり少し安心しました。
昼過ぎに半日ぶりに届けられたという電話を駅からもらいホッとしました。
資格の学校に働きながら通うというのは、いろんなことがあります。
とにかく通勤経路の学校に通うのがもっとも良い選択です。
夕方、学校に行く前にテキストを届けられた駅に引き取りに行き、事なきをえました。
社労士講座は12月から受講を始め、すでに4か月が経過しようとしています。
とても役に立つ内容ばかりで、今後の人生に大いにプラスになりそうです。
ようやく春になりましたが、暑い夏まで勉強は続きます。 March 20 今日からパリーグ開幕そしてあらたな遊び場づくり 今日からパリーグが開幕しました。
福岡ソフトバンクホークスのファンとしては、開幕ゲームをせめてテレビで観たいものですが、新聞のテレビ欄にはテレビ中継がないので諦めました。
朝から入院している父親を見舞うと病状はあまり良くありません。
母親に後を託して、私は街の会計の仕事で書類作成にかかりました。
会計仕事はあまり好きではないのですが、公務なので仕方なく書類をいろいろと作成しました。
昨年4月から本当に長い一年でした。いよいよこの決算で次年度役員に引き継ぎます。
昼から気分転換に、ショッピングモール「イオンモール橿原アルル」に出かけてみました。
あいにくの雨だったせいか、春の新入学、就職シーズンのせいか、たいへんな人出でした。
駐車場は終日満車状態です。
巨大ショッピングモールの北側の空き地に増床工事のクレーンが立っていると思ったら、店内に説明のポスターがありました。
なんと今年の冬にオープンする増床フロアに専門店がまた100店も入るというのです。
もちろん駐車場も増設です。
子どもと遊びに行ける場所がまたできるのが今から楽しみです。 March 19 早春の東京出張 昨日から東京へ1泊の出張でした。
春のダイヤ改正で増発された新幹線のN700系に一度乗りたかった私は、行きこそ時間が合いませんでしたが、帰りは何とか乗車できました。
従来の700系のぞみの車内を改装したようで、とくに変った印象はないのですが、座席が明るい色のブルー系となり、窓際の座席の電源がモバイル族には親切です。
社労士のテキストを行き帰りの車内で読むためにバッグにいれた私は、ついにノートパソコンを断念したので、今回は窓際でなくても良かったのです。
そうなると、窓際席でなくてもそれほど気にはなりませんが、やはりパソコンユーザーには好都合のようです。
トイレも清潔でデザインが洗練されて良くなっていました。
そんなところがメリットですが、モバイル族でなかったらほとんど「そんなのカンケーネー!」です。
東京は年度末なのか、いつもより人が多いように感じました。
宿泊したホテルで朝パソコンを借りてインターネットでのブログの書き込みをしたのに、なぜかアップロードできませんでした。
あせっても仕方がないので、マイペースでいきましょう。
春なんですから。
心を新たに。
私は、もうすぐ社会人30周年です。 March 16 家族サービスのハードな休日 昨日の休息日とはうってかわって家族サービスに走り回った一日でした。
朝から世界遺産暫定登録の藤原宮跡の花園のボランティア活動で、花園の草刈に汗を流しました。
私の街が担当した春ゾーンは、そろそろ結論が出る頃ですが、2年目の今年も雑草が見事に生い茂っています。
花の種は蒔いた翌日から野鳥の餌食になっていたと、街の長老が説明に来てくれました。
汗を流し続けた私たちの苦労は報われないというのでしょうか。
ちなみにこの長老は太平洋戦争の東南アジア戦線での帝国陸軍の生き残りで、今でも銃弾が足首の上に入ったままというつわものです。
元気が無くなりかけた私たちは、午後から次年度の役員に引継ぎを丁寧にしましたが、まだ3月末まで仕事が残っています。
夕方からは母親の実家のおじさんの通夜に行きました。
この家は文芸春秋社を菊池寛とともに起業し、芥川龍之介とともに初期の文芸春秋の売れっ子作家だった直木三十五の祖先の家です。
私も何十年ぶりかで伺いましたが、家の前には直木三十五の記念碑が建っています。
直木三十五(本名「植村宗一」)自身は、大阪の中央区谷町六丁目の近くに生まれ、現在その近くには記念碑と記念館が建っていますが、祖先は奈良の広陵町で先祖代々生きてきたのです。
その家は四百年あまり前の先祖が織田信長の家臣筒井順慶と戦ったという家系図が残っており、直木の伝記を書くために、植村鞆音(ともね)氏という直木の甥に当る方が東京から取材に訪れたそうです。
その取材などを経て文芸春秋社より伝記「直木三十五伝」が2005年に出版されました。
その本の帯には直木賞創設70周年記念出版と書かれ、作家城山三郎の推薦の言葉が掲載されています。
伝記を読むと昭和の奇人というべき人で、直木賞に名を残したのは、友人だった菊池寛が会社の発展に寄与した功績を称えたためだったということがよく分かりました。
そんなことを思い出しながら、通夜はしめやかに行われました。
私も喪主に頼まれて立礼に立ち、早春の肌寒い夜に私のルーツを考えるひと時をもつことができました。
母親の姉妹やいとことの交流に付き合うつもりで行きましたが、時間がゆっくりと流れている奈良の田舎町の雰囲気を感じた一日でした。 March 15 春は恋の季節? 昨夜は一週間の疲れに加えて資格学校TACの授業を終えて重い足取りで帰りの電車に乗り込むと、前に座っているカップルがいちゃついていることに気がつきました。
20代の男女ですが女性の方が積極的で、男性の胸を触ったり、自分から男性に顔を近づけてキスをしたりするので、前の座席に座った私は目のやり場に困りました。
カバンから本を取り出して読みましたが、どうも気になります。
他の客は夜十時前ということもあり、よく眠っているようです。
私ひとり本の内容に集中できないで困ってしまいます。
すると次の駅で男性が降りてくれたので、安心して読書にいそしむことができました。
春というのは人間にフェロモンを出させる効果があるのでしょうか。
それにしても最近は女性の方が大胆なので驚いてしまいます。
今日もショッピングモールに買い物に行くと、昇りのエスカレーターで女性の方が後ろを向いて男性に両手を回して軽く抱きついています。
女性が強くなったことを実感することが多くなった昨今ですが、恋愛でも女性がリードする場面が増えていることを昨日と今日で思い知らされました。
自宅に帰ると我が家の庭の梅の花も見事に咲き誇り、妖しいピンクの花弁からフェロモンのような甘い香りを放っています。
一瞬足元が軽くなるように感じた早春のたそがれ時でした。
March 13 東大寺二月堂お水取り 東大寺二月堂のお水取りを観てきました。
携帯の写真は少し分かりづらいですが、下から見上げた大たいまつの迫力はとても感動的でした。
数千人の群衆が集まり、火の粉を浴びて歓声を上げました。
大たいまつは全部で十本ぐらいあったので迫力があり、奈良最大の伝統行事を堪能できました。
午後七時から七時半ぐらいの間で行われるのですが、午後六時には行かないと良い位置で楽しむことはできません。
坂の勾配で立つので注意も必要ですが、とても楽しい行事でした。
僧侶たちは夜を徹して修行をし、明日お水とりはフィナーレを迎えます。 March 12 春がいっぱい ついこの間まで雪が舞っていたというのに、今週は春がいっぱいです。
午後から仕事で5月にゴルフコンペを開催する予定の茨木カントリーに打ち合わせに行きました。
初めて行ったのですが、大阪の都心から車で半時間と近く、とても便利なロケーションです。
車で万博公園の近くを通り過ぎて少し東に走ると、茨木カントリーがありました。
実は日本初の18ホールのゴルフ場という由緒あるコースだといいます。
私はプレーをしたことがないのでコースの内容は知りませんが、クラブハウスは思ったよりもこじんまりとした印象でした。
一緒に行った同僚の話では、オープンしたのが85年年前だと聞きました。
好天のなかをドライブして帰ると、梅の花をあちこちで見かけました。
ポカポカと気持ちの良いドライブで、仕事の合間に春を感じることができました。
さて春といえば春闘。
今日は大手企業の回答があり、円高や資源価格高騰の影響のため渋い回答が続出でした。
業績好調な大手企業でさえ昨年並みの回答で、物価高のために生活が苦しくなり始めた労働者にとり寒い春闘となりそうです。
また春といえば人事の季節。
国会では日銀総裁の人事案が参議院で否決されました。
三分の二条項が同意人事にはないので、違う総裁候補を再提示するべきだと思いますが、参議院の同意を得られない武藤総裁候補を提案したのは何故なのか。
人事は参議院で多数派の民主党の意向も踏まえて提案するべきではなかったか。
ごり押しは人事には通用しないのです。 March 10 通夜参列そしてまもなく私は折り返し地点 父親と同じ年齢である81歳の男性が昨夜、お亡くなりになりました。
イチゴづくりで現役バリバリの方で、どっちの料理ショーにも出演したほどの元気な男性でした。
昨夜私が息子と散歩をして自宅に帰る道すがら、町の真ん中に救急車が止まっているなあと思っていたら、その方が自宅から運ばれたところだったというのが、今朝になってわかりました。
自宅でテレビを観ていて、立ち上がったあと倒れたそうです。
同じ歳で幼馴染だった私の父親が入院していて母も付き添いのため、私が通夜に行きました。
元気で働いていた方が急に亡くなると、ご家族もとてもショックだと思います。
心の準備期間が全くないのですから。
ここ数年父親と同じ年代の方が次々とお亡くなりになるというのは、やはり現代では80歳を過ぎたあたりが平均年齢なのだということを実感します。
ふと気がつくと、もう3月10日。
まもなく4月になりますが、私が社会人となったのは1978年の4月ですから、もうちょうど30周年を迎える記念すべき年なのだということで、感慨深いものがあります。
社会人になるまでが学びの時期だとすると、その後の人生30年、そしてこれからの平均年齢までの30年というちょうど折り返しの地点に私は立っているのです。
これからの人生をさらに充実したものにするために、今しばし熟考すべき時期なのでしょう。
山籠りか禅寺か。
はたまた一人旅か。
何か静かな時をもちたいと思う私です。 March 09 心を軽くするために 今日も午前中肺ガンで入院中の父親の付き添いに出かけました。
一週間に一度付き添いをしていると父親の病気が進行しているのが感じられます。
ガンで家族を看病するのは久しぶりで、食道ガンで亡くなった祖父がちょうど30年前に自宅で息を引き取ったことを思い出しました。
あれから30年、今度は父親が死の病と闘っています。
81歳というのはすでに男性の平均寿命を生きてきたことになります。
多くの友人たちを見てきた父も、肺ガンで何年も生存したものはいないほど不治の病だということをよく知っていて、自分の告知の後も覚悟を決めていました。
告知から2年数ヶ月、主治医と看護師さん、母など関係者の努力のお蔭で本人も充実して生きてきたと思います。
会話は少なくなりましたが、家族や親族がときどき見舞いに行きます。
それでも寂しく感じることがあるようですが。
静かに余生を過ごす父親の姿に、ときどき若いときの元気な父親を思い出しながら、見る者も寂しく感じます。
毎日を精一杯生きることだけが、私の心を軽くしてくれるのです。 March 08 土曜日の仕事と趣味 今日も朝から職場に出勤しての仕事でしたが、土曜日の大阪のオフィス街は閑散としています。
昼食をとりに出かけた職場の近くのスパゲティ屋さんも客が少なく、土曜日は昼しか営業していないという話をしてくれました。
出勤してしている女性陣を慰労するため、昼休みにお菓子を買い求め差し入れました。
休日気分もなくなるほど真面目に仕事を終えて電車に乗ると、車内は随分と空いていて、土曜日だったことを改めて認識しました。
自宅に帰り着くと、一週間の疲れをさすがに感じます。
いつもの週末と違うのは、今年は車を買いたいので、駅で車の雑誌を買い求め、自宅でも新聞折込チラシで車の宣伝に目をとおします。
車が売れないという記事をよく目にしますが、こんなに便利で楽しいものはありません。
久しぶりに楽しい車購入の年なので、春の訪れとともに心が軽くなってきました。
スキーの足としてスバル車ファンの私は、何をいつ購入するか、スバル車の中で頭を悩ませています。
March 07 春はもうすぐそしてなごり雪ももう終わり 朝晩はまだ寒くても、昼はもう暖かで、昼休みに散歩ができるようになりました。
天気予報では、来週から朝の冷え込みもなくなり、もう春の陽気が全国を包むそうです。
本当なら嬉しいはずなのに、私の気持ちは複雑です。
暖かくなるというのは雪が解けるということ。
なだれが心配だというのではなく、私の好きなスキーの季節が終るということです。
しかも、父親の病気入院の付き添いのお蔭で、一度もスキーウェアを着ることもなく。
私が本格的にスキーを始めた35歳の冬以来、スキーシーズンに一度もスキーに行かなかったことはありません。
何度も何度もスキーバスに乗り込み、ハンドルを握って、朝から夕方までゲレンデを滑降したあの日々は今年は来ないというのでしょうか。
あまりに寂しいので、何とかいけないものかと、暇さえあれば知恵を絞っている私です。
そんな私の複雑な気持ちは、本当にスキーの楽しさを知っている人にしか分からないことでしょう。
何とか、何とか行けないものか。
私の苦悩の日々は続き、チャンスは日に日に少なくなっているのです。
March 06 大相撲大阪場所目前にして激励会 今夜は勤務先が昔から応援している大島部屋の激励会に行きました。
会場は昨年と同じ大阪駅の北にある阪急インターナショナルホテルで、夕方から盛大に始まりました。
旭天鵬関と旭南海関をはじめとして大勢の部屋の力士が集まり、華やかな会でした。
最近は優勝争いに加わっている旭天鵬関は、今場所も台風の目としての活躍が期待されています。
私と同僚たちも、楽しく食事や力士たちとの交流を楽しみました。
抽選会は残念ながら当たりませんでしたが、今後の活躍が期待される若手の凛々しさには、大いに期待が膨らみました。
大島親方は相撲協会の巡業部長としても昨年から話題になった方で、真面目な人柄が人気を集めています。
私のいたテーブルにも来て頂いたので、今後の若手の活躍も丁寧に説明していただきました。
March 05 自由への逃走 今夜のTBS系列ニュース23では、北朝鮮からの脱北のドキュメントが驚きの内容でした。
中国瀋陽から鉄道で昆明へと鉄道警察の目をくぐりながら移動。
バスに乗り換えてラオスとの国境近くまで行き、夜を待って山越えの逃走。
暗闇を半日歩きづめでようやくラオスに入り、支援者が用意したバスに乗り込み、田舎道を丸一日かけてタイ国境のメコン川に向かう。
すでに体力の限界を越えている脱北者たちは、夜を待ったあと小船でワニが泳いでいるメコン川を越えてタイへ入国。
ここまで来れば強制送還はなく一安心。
そして韓国大使館に逃げ込むという決死の逃走劇でした。
中国やラオスで見つかれば北朝鮮へ強制送還され、北朝鮮政府に殺されるだろうというのですから、まさに命がけの自由への逃走でした。
私たち戦後生まれの日本人は自由が当たり前の幸せな人生を歩んできましたが、歴史はまたいつこのような悲劇を生むかもしれません。
そうならないことを祈りますが、いざというときのために体力をつけておかなければと思いました。
9才の子どもが涙を流しながら逃走する姿は、とても胸を痛める映像でした。 March 02 病人を介護するということそして自分の健康づくり 資格学校に週二回通い、夜遅く帰るとさすがに疲れますが、これに休日の病人の介護があるので休みもなかなかゆっくりできません。
昨日の土曜日も仕事で夜遅くなり、今日の日曜日の病院の付き添いは半日とはいえさすがに気分が乗りませんでした。
父親の病気は肺がんで、本人もすでに覚悟ができているのですが、最後まで精いっぱいのことをしてあげたいので、親子三人で病院に付き添うのですが、母親が日曜以外は付き添いで、老老介護のため疲れが蓄積しています。
病院というのは病気を治すための施設であり、患者の一挙手一頭足まで面倒はみてくれません。
弱ってきた父親のために、いろいろと注文をきいたり、食事の介護や話し相手をしているのですが、母親にはきつい言い方をするので、毎日夫婦喧嘩となってしまいます。
私は母親の愚痴の聞き役もしなくてはならず、仕事で毎日疲れて帰ったあとで、愚痴の聞き役という仕事が毎晩あるようになりました。
そんなこんなで、あわただしく毎日が過ぎていくのですが、子どもの病気もあり、家族の世話で大忙しの日々を送っています。
人生には本当に忙しい時期というものがあるものです。
昨日土曜日の午前中に自分の高脂血症の定期検査で病院に行き、血液検査と医師の診察を受けました。
運動不足は歩くことで解消しているつもりですが、忙しすぎて歩く歩数が1万歩に足りない日もあります。
現代人の高脂血症の原因は、食べすぎだという記事を新聞で読み、深く反省して食べる量を2週間前から減らしたところ、体重が64.5キロから62.5キロへと、2キロも減量に成功しました。
そのおかげで昨日の血液検査は数値が改善しており、医師も「運動を心がけて3か月後にまた来てください」と言うだけで終わりました。
いよいよ春の日差しが感じられる日が続いています。
歩いて減量し、食事を節制して減量するという健康づくりの日々が当分続きそうです。
目標体重は59キロです。 |
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